11月7日(木) 『興味』というものは「時間」と「年齢」によって変わる――

少なくとも俺自身がそういう感じ。

歳を重ねて、所謂「オトナ」になると子供の時分にはすごく興味を持っていたことに興味が持てなくなってくる。
自分を取り巻く環境や認識、次々に変わっていく状況の中で、純粋な好奇心だけで見ていられた事に「情報」という余計な垢というかゴミがくっついていく。
すると真っ直ぐ見ていられたことを射に構えてしか見られなくなり、やがてそれが非常に「幼稚」なものに思えてきてしまうことがある。現在の自分には「不必要」なものと判断してしまうことがある。

よって、興味の向きや幅が歳を追う毎に変化するのは、外的要素と内的要素による渾然一体となった意識の変化に寄るんだろうな、と。
あれだけ「物体」を所有することに拘りのあった俺が、外的要素たる「空間の枯渇」によって意識改革がされ、いつしか「物体」の所有よりも「情報」の所有に意識が移行していった。
つまり「本」を持っている事に拘りがあった自分が、いつしか「置く場所」を考えるようになった結果、物を増やすことよりも「内容を知る手段」という実利的方法――「電子書籍の購入」を選択していくようになった、という事である。

そこにも興味の変化や選択肢の取り方に変化があったという事になる。
「物体」は増えるばかりだが、物としての形がない「情報」はストレージの限界いっぱいまでは多くものを蓄積しておける。
ストレージ自体は「物体」であるけれど、その「物体」自体の大きさや重さ、空間に占める体積が劇的に増える訳ではないので「情報」そのものの蓄積は「空間」を極端に圧迫することはない――そういう点に俺の意識が移行したという劇的な変化。

でもまぁ、芯に残る「拘り」というものはなかなかに変わらないし消えないし、度し難い程に堅固で強固な意識として残り続けているので、そこだけは自分でも諦めている節はある。

変わるものと変わらぬもの――人間はどこをどう妥協するか否かで、変化を許容する範囲に差が出るんだろうな。

……と、そんな風に自分なりの哲学染みたことを書き付けてみた。
やはり体調が戻って来ると、ストレス耐性が上がるので、書く内容もあまりマイナスな事ではなくなるな。
体調不良が極まると、もう自分の頭と胸の裡に蠢く「闇」を抑えきれなくなり、クソみたいな感情を擦り付けるように書き散らしたりするので、全く以て度し難くなる。

不健康は、不健康に則した不要で不快で不愉快なものを生み出すんだろうな。

振り返ってそう思う。

ちなみに今日は、それなりに受けて流して仕事が出来たので、気分はそんなに悪くなりませんでしたわ。ちょっと咳が強く多かったのが厭だったけど。

晩飯は、ロールキャベツ。
今日のは大きさが小ぶりでした。
ちゃんとしっかりいただきましたけど。

夜は、部屋でアレコレと確認と調べ物。
その後で、こうしてブログ日記を書いています。
前述の様なくだらない事を、てれてれと考えたりしておりましたわ。

明日は――頗る「消化試合」的な日になると予想。
やる事があまり実のあることでなさそうなので。
金曜日だし、それなりに受けて流して、さらっと過ごしますわ。

んじゃ、今日はこの辺で。






カリカセラピ 100包
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親父が、これを摂取することを始めました。
今までは俺独りがずっと舐めておりましたが、親父も舐めようという話に。
高い代物なので、少なくなってきたらいい頃合でまた購入するつもりですが、検討が必要ですな。

とどのつまり、健康は少しでも多く長くありたいと思うものだという事を伝えておきますよ、という感じでまた明日。

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